晩唐の臨済義玄を宗祖とするが、唐末五代においては、華北に地盤を置いた臨済宗は、義玄の門弟三聖慧然、興化存奨以後、その宗風はさほど振るわなかった。存奨系統の南院慧顒、風穴延沼らが一部でその法統を継承するに過ぎなかった。
北宋代になって、延沼の弟子の首山省念門下の汾陽善昭、広慧元漣、石門蘊聡といった禅匠が輩出して、一気に宗風が振るうようになった。善昭門下に石霜楚円、瑯琊慧覚が出、蘊聡門下からは楊岐派の楊岐方会、黄龍派の黄龍慧南が出て、その一門が中国全土を制覇することとなった。
元の高峰原妙は、その宗風を、「痛快」という言葉で表現している。
黄龍派
宋代の中期以降に、慧南の系統が勢力を伸長し、楊岐派と共に、五家と肩を並べるまでになった。慧南の門下から晦堂祖心、東林常聡、真浄克文が輩出し、祖心の弟子の死心悟新、霊源惟清が、克文の下からは兜率従悦、覚範慧洪らが出て活躍し、当初は、より盛んであった楊岐派よりも優勢になった。
[編集] 楊岐派
黄龍派と同様に方会の系統が勢力を伸ばし、七宗の一に数えられるまでになった。白雲守端の門下に五祖法演が出て、その門弟より、圜悟克勤、仏鑑慧懃、仏眼清遠という、「三仏」と称される禅匠が現われた。南宋になっても、その勢いはとどまらず、克勤の門弟子、大慧宗杲は多数の門弟を集め、大慧派を形成した。その他、虎丘紹隆の虎丘派、虚堂智愚を出した松源派、無準師範を出した破庵派なども活躍した。
潙仰宗
潙山霊裕・仰山慧寂を祖とする。この系統も十国の荊南や南唐を中心として教勢を張ったが、その後は次第に衰退し、宋代にまで伝わることがなかった。
元の高峰原妙は、その宗風を「謹厳」という言葉で表現している。
雲門宗
雲門文偃を祖とする。文偃門下の香林澄遠・洞山守初・徳山縁密らが唐末に一大勢力を形成し、五代末より北宋にかけて、隆盛を極めた。宋代には、澄遠の系統から現われた雪竇重顕、文殊応真系統の仏日契嵩が活躍した。重顕門下には、天衣義懐が出て、雲門宗の中興と称された。その後も、仏印了元や大梅法英らの禅匠を輩出し、北宋代には、臨済宗と比肩する勢いを有していたが、北宋末には、次第に衰退していった。南宋でも、『嘉泰普灯録』の編者、雷庵正受らが活躍したが、宗勢は振るわず、南宋末には系統が途絶えてしまった。
元の高峰原妙は、その宗風を「高古」という言葉で表現している。
曹洞宗
晩唐の洞山良价を祖とする。良价、曹山本寂の系統は、五代十国の荊南や南唐に宗勢を張ったが、全体的には余り宗勢は振るわなかった。本寂門下の曹山慧霞、雲居道膺門下の同安道丕、疎山匡仁門下の護国守澄、青林師虔門下の石門献蘊らの活躍が見られる程である。
北宋代になっても、余り宗勢は振るわなかったが、投子義青が出て中興を果たした。その宗風は、芙蓉道楷、丹霞子淳に継承された。道楷は、徽宗皇帝からの紫衣と師号の下賜を拒絶して、淄州(山東省)に流罪となり、災い転じて福となり、それが華北に曹洞宗が拡大する契機となった。
南宋代には、子淳の下から宏智正覚、真歇清了が出て、「黙照禅」と呼ばれる宗風を維持したが、その宗勢は、臨済宗には遠く及ばなかった。なお、清了門下の天童如浄が、入宋した道元の師である。正覚の門下からは、『六牛図』を著した自得慧暉が出た。慧暉の系統が、その後の曹洞宗を支えることとなった。
河北に教勢を張った鹿門自覚の系統からは、金代になって、万松行秀が出現し、大いに教化を振るうこととなる。行秀は、林泉従倫や雪庭福裕、耶律楚材らの多くの優れた門弟子を育て、章宗の尊崇を受けた。福裕は、元朝において、道教の全真教の道士、李志常と論争して勝利を収め、嵩山少林寺に住して教勢を張った。以後、少林寺は、華北における曹洞宗の本拠となり、明の後半には、「曹洞正宗」を名乗ることとなった。
元の高峰原妙は、その特色を、「細密」という言葉で表現している。
法眼宗
「五家」観念の初源となった『宗門十規論』を著した法眼文益を祖とする。五代十国では、呉越国王の銭氏一族が、永明道潜、天台徳韶、永明延寿らの法眼宗に属する僧らを保護したため、江南地方において、その宗勢が振るった。
宋代になると、徳韶、延寿の系統は衰退した。代わって、清涼泰欽や帰宗義柔の系統が、その主となった。泰欽門下からは、雲居道斉、霊隠文勝の師弟が出て活躍したが、次第に衰退に向かい、ついに北宋末には、その系統は断絶してしまった。
元の高峰原妙は、その宗風を、「詳明」という言葉で表現している。
日本の禅
日本には、公式には13世紀(鎌倉時代)に伝えられたとされているが、平安時代には既に伝わっており、檀林寺で禅が講義されたとの記録があり、また、日本天台宗の宗祖最澄の師で近江国分寺の行表は中国北宗の流れを汲んでいる。臨済禅の流れは中国の南宋に渡った栄西が日本に請来したことから始まる。曹洞禅も道元が中国に渡り中国で印可を得て日本に帰国することから始まるが、それ以前に大日房能忍が多武峰で日本達磨宗を開いていた事が知られ、曹洞宗の懐鑑、義介らは元日本達磨宗の僧侶であったことが知られている。
鎌倉時代以後、武士や庶民などを中心に広まり、各地に禅寺(ぜんでら、禅宗寺院)が建てられるようになった。
臨済宗(りんざいしゅう)
唐の臨済義玄を宗祖とする。日本では中国から臨済禅を伝えた栄西に始まり、その後何人かの祖師たちが中国からそれぞれの時代の清規を日本に伝えたため分派は多い。現在の日本の臨済宗は公案禅といわれ、江戸時代に白隠がまとめたスタイルである。公案とは、裁判の公判記録のことであるが、転じて禅語録として伝えられる祖師たちの対話をいうようになった。それぞれの判例を一則、二則と数える。その対話を知ることにより悟りを知ろうとする。公案は論理的な思考によって理解する事ができない内容が多い。
臨済宗のなかでは、妙心寺派が最大である。江戸時代、宗学が発達し、無著道忠(1653年 - 1744年)が現われ、諸本を校訂し、綿密を究めた手法を確立し、膨大な著述を残した。その著書は、近現代においても研究上の価値を失わない水準を有しており、影印版が実用書として出版されている。
曹洞宗(そうとうしゅう)
六祖曹渓慧能と洞山良价から曹洞宗とした。日本では中国に渡り印可を得て1226年に帰国した道元から始まる。帰国の翌年には普勧坐禅儀を著し、只管打坐を専らとする宗風を鼓舞した。その修行内容は「永平清規」を厳しく守り、一時的な見性に満足してしまうことや坐禅の他に悟りを求めることを良しとせず、只管に坐禅を勤めることに特色がある。
道元は自分の教えは「正傳の佛法」であるとして党派性を否定し、禅宗と呼ばれることも嫌った。
初期は在家への布教にも熱心であったが晩年は出家第一主義の立場を取った(正法眼蔵十二巻本参照)。その後総持寺開山瑩山の時代に、坐禅だけではなく、徐々に儀式や密教の考え方も取り入れられ一般民衆に対し全国的に急速に拡大した。
曹洞宗の坐禅は公案に拠らず、ただ、ひたすら坐る(只管打坐)ことがそのまま本来の自己を現じている(修証不二)としているが公案そのものを否定しているわけではなく、また、法系によっては公案を用いる流れも存在する。
普化宗(ふけしゅう)
9世紀に臨済録に登場する普化に因み始まる。普化についての記録はほとんどない。虚托(尺八)を吹きながら旅をする虚無僧(こむそう)で有名。日本から中国に渡った法燈国師が、中国普化宗16代目孫張参に弟子入りし、1254年に帰国することで、日本に伝わった。本山は一月寺(現在の千葉県松戸市)に置かれていた。
江戸時代に幕府により組織化されたが、江戸幕府との繋がりが強かったため、明治になって1871年に明治政府により解体された。宗派としては失われ、臨済宗に編入された(ちなみに一月寺は現在日蓮正宗に属する)。しかし、尺八や虚托の師匠としてその質を伝える流れが現在も伝わっている。
黄檗宗(おうばくしゅう)
1654年(江戸時代)に、明から招かれた中国臨済宗の隠元隆琦禅師により始まる。臨済真宗を標榜しようとしたが幕府の許可が得られず、臨済の師黄檗希運の名を取り臨済宗黄檗派と称した。明朝風の禅と念仏が一体化した念仏禅を特徴とし、読経が楽器を伴う明風の梵唄であることで知られる。また、1663年に萬福寺に設けられた戒壇をはじめ、各地で授戒会を開いたことで、江戸時代の戒律復興運動に影響を与えた。江戸時代を通じて一宗として見做されることなく、臨済宗の一派で終始した。黄檗宗を名乗り、臨済宗から独立を果たしたのは、維新後の1876年のことであり、明治以後に禅宗中の一宗となった。
世界の禅(Zen Buddhism)
日本から世界へ禅が広まり、日本の禅が世界に最も良く知られている。 悟りを得たと言われている日本の学者鈴木大拙によって20世紀に日本からアメリカ、ヨーロッパへと禅が紹介され、曹洞宗の弟子丸泰仙によってヨーロッパで布教され、21世紀現在では、臨済宗、曹洞宗共にアメリカやヨーロッパに寺院を構えている。
注釈
^ 本来、大乗仏教は一切衆生の仏道成就という一つの目的を共有する大きなひとまとまりのものであり、仏祖が様々に教えた中の一つを取り上げてことさら禅宗と称して一派に細分化すべきではないのであるが、敢えて分化して説明するならば本項のようになる。
^ 不立文字(ふりゅうもんじ)。文字・言葉の上には真実の仏法がないというのは、仏祖の言葉は解釈によっていかようにも変わってしまうという意味であり、言語の持つ欠陥に対する注意である。悟りは文字によって得ることはできないとはいえ、沈黙によっても得ることができないとされるため、一切の説明を行わないということはなく、臨機応変な方便として様々な方法で説かれる
^ 教外別伝(きょうげべつでん)。人格を相伝すること。文字や言葉を残す以外にも、禅師の全人格をそのまま弟子に伝えることが重要であるとされる。
^ 師資相承(ししそうしょう)。悟りの機微は師から弟子へと受け継ぐべきものであり、それが法脈となって後世の人々を救う。生きた仏として残るため個別のケースに応じた柔軟な指導が可能となる。そのため固定の戒律を持たず、固定の修行方法を持たず、特別な本尊を定めることもなく、必ず出家しなければならないというような決まった形もない。
^ 臨機応変(りんきおうへん)。例えば、あまりに経典を大切にしすぎる人には、正法眼蔵も世尊拈華も真実の悟りから見れば寝言のようなものであるといって捨てさせたり、あまりに経典を軽んじすぎる人には読経を勧めたりといったことである。
^ 了義(りょうぎ)。解りやすく崩したり表現を変えるようなことをせず、完全・明白に説かれた教え。涅槃経の四依品には、末代の人は了義によるべきであり、不了義によってはならないとある。
^ 禅宗では自宗と自宗以外のすべての教宗とを区別する意味で禅宗と自称する。
^ 禅那(ぜんな)。坐禅を組むこと。あるいは参禅すること。禅那は、仏性の存在を前提に坐禅することをいう。そのため坐禅と同じ姿勢でも仏性を前提としないものは禅那とは言えず、単なる瞑想であるとして区別される。
^ 教宗では俗人と仏とを別々のものと考えた上で仏性という言葉を使うが、禅宗では俗人も欲を除けばそのまま仏であるという意味で仏性という。全ての人がそなえていると書いたが実際は人に限らず生きとし生けるものすべてが円満に持っており、姿形は動物によって違うが仏性は平等であるとされる。ただし、このように読んで頭で理解するにとどまって体感を伴わないことを嫌うのが禅宗である。
^ 悟って如来と同じ境地に入ること。体験を経てから涅槃に至るまでの一連の流れについて頓悟漸悟あるが、人の利鈍によって早い遅いがあるにすぎない。
^ 不立文字・教外別伝(ふりゅうもんじ・きょうげべつでん)。言葉や文字によらず、直に本性を指し示すこと。教宗にはない禅宗の特徴とされる。例えば、月とはこういうものだと口で言って説明するのではなく、黙って月を指さすようなものである。ところが、その指を見ても何のことかわからずに、指の長短や肌の濃淡を論じるような者のために教宗があるとする。ただし、禅宗が指すものは悟りの境地であり、教宗が指すものも悟りの境地である。それゆえ禅・教は表裏一体のものであり、禅の中に教があり、教の中に禅があるため、双方を両立するになんら矛盾はなく、特に他宗派を誹謗する者に対しては禅教の両立が推奨される。
^ 有田秀穂 東邦大学医学部生理学教授
プロフ幸 かぶらな とらが ラマダ オガタ ビラ 五色の雲 スポット パネラー 梅園 モラハラ カラー 知っ得 クラート アノレ シュホン ゲレンデ ペンイ カーハート カウガール ドラッ ゲーテ マジョラ ナベルト トバン ロドプシ ボルマーク 広場 ミキサー ボルダ トハングリー マッシ ビクトリ トリウム マグナカル モナコ バンパ フォトレ アッペ こまいぬ オキサイド テーラ ルーム はぐろ クセル スタブ 大麦若葉 けつがん ナツツ プラット
^ 世尊拈華、迦葉微笑(せそんねんげ、かしょうみしょう)。故事。釈迦が入滅するに際し、大衆居並ぶ説法の席で一枝の蓮華を拈って見せた。みな何のことかわからず押し黙るなか、ひとりマハーカーシャパだけが微笑してうなずいた。それを見た釈迦はマハーカーシャパが悟りを開いたことを知り、我が不立文字・教外別伝の正法はあなたにゆだねると言って仏法伝授の使命を授けたというもの。
^ 到達するといっても、なにか悟りという別の境地があってそこへ向かって進むわけではなく、その境地が元々の自分(いわば出生以前の自分)であり、その境地が底なのである。
^ 外道とは仏教以外の宗教者のこと
^ 壁は、外から来る妄念から内心を守り隔てるものの例えである。のちになって、物質的な本物の壁の意味に解されたが、これは誤りであろう。(柳田聖山 達磨の語録 P51)
^ 身口意の三業(しんくいのさんごう)。みだりに殺すこと、盗むこと、犯すこと、罵ること、騙すこと、綺語を言うこと、詭弁を言うこと、貪ること、怒ること、邪なことの十悪。
^ 身口意の三業。来世の生存は業を因縁として決定する。悪業に限らず、善業であっても善果としての来世が決定してしまうため、輪廻を逃れることができない。そのため善悪そのものを離れてしまうことが重視される。そして苦楽や生死についても同様に、とらわれないことを重視する。生死にとらわれなければ、輪廻もまた消滅するので、すべてが寂滅した世界観が開ける、というような意味である。しかし、このように学んだだけで実感を伴った悟りに至る人はまれである。それゆえ禅宗では話をせず、一切を投げすてて悟りの本分に直行させるために教外別伝を行う。
^ 教宗では衆生を成仏させきってから自らが成仏するのが菩薩であるとされるが、禅宗では先に自らが成仏して如来となってから衆生を導くことを奨励する。この両者は手段が違っているだけで、衆生を済度しようという目的は同じであるため、どちらが間違っているということはない。もしこの両者について正誤にとらわれる者があるならば、彼は自分自身が小乗に陥っていないか鑑みる必要があるとされる。
^ 睡眠中も無意識ではあるが、眠りという無明が付着しているために夢を見て一喜一憂する。理法に目覚めながら目覚める対象にとらわれないのが仏である。
^ 只管打坐(しかんたざ)。真実の只管打坐は単なる無念無想や無意識というようなものではなく、意識があるでもなくないでもなく、無念でも有念でもなくて、心身が澄み渡った空のように清くありのままを映し出す鏡のように感じられるところにあるとされる。ただし、この境地すらいまだ大悟徹底ではない。しかし大悟徹底の前段階であるとして歓迎される。
^ 修証一如(しゅしょういちにょ)。坐禅は、まだ悟っていない者が修行によって悟りに到達するようなものではなく、生来的に仏性を持っている(悟っている)はずの者が改めて修行をするのであって、それは修行がそのまま悟りなのであるという意味の喝。どんな凡人・外道も本質は仏なのであって、もともと悟った仏である者が、ことさら悟りを求めて坐禅するということがあってはならない。仏が仏になることを目指すというのであれば、大乗仏教が元々仏たる性質を指摘する本意に反するからである。このように、心そのものが即そのまま仏であると教えるのは、悟り・涅槃・仏性に執着させないための方便である。
^ 心がけの良くない修行者とは、はじめから本気で仏道を求める気持ちが無く、禅僧としての名声を求めていたり、金稼ぎを目論んでいたり、他人に言い負かされたくない一心で、あるいは知識をひけらかすために経典の学習を優先し、初心者に対して褒め貶しを行うような者。
^ 心身は幻であると聞けば、諸行無常のことを言っているのだと理解するかもしれないが、大乗教では実体がないことを理由に固定観念をうち破って中道に至らせる意味で使う。水面に映った月は、実相であるとは言えないが、確かに姿を映しているように見えるから実相ではないとも言えない。有るわけでもなし無でもなし、しかし有でもあり無でもあるという中道にこそ実相があるという意味である。禅宗では、世界はこのように曖昧であるから捨て置け、坐禅せよと教える。
^ 唯識では迷妄と悟りが調和した境地を第八識、常住不滅の衆生の本心を第九識などと区別して教えた。
^ 棄悪(きあく)。心の正しき働きを覆い隠すような一切の悪を捨て去る
^ 功徳叢林(くどくそうりん)。衆徳のあつまること叢林のようである。
^ 念修(ねんしゅう)。修は習得すること。習得して得られるものは棄悪・功徳叢林である。
外部リンク
臨済禅 黄檗禅 公式サイト
曹洞宗・曹洞禅ネット
財団法人 禅文化研究所
国際禅学研究所(IRIZ)
臨済宗妙心寺派 東京禅センター
臨済宗青年僧の会
臨済宗黄檗宗のリンク集
臨済系のリンク集
Rinzai-Obaku Zen
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駒澤大学禅文化歴史博物館(耕雲館)
花園大学 禅的教育研究所
花園大学 net坐禅ゲーム
全国曹洞宗青年会
Shunkoin Temple
安泰寺・一般参禅者受け入れの禅寺
中国少林寺(禅宗の祖庭)
原始佛教と禪宗
(百科事典)「Japanese Zen Buddhist Philosophy」 - スタンフォード哲学百科事典にある「日本の禅哲学」についての項目。(英語)
つらつら日暮らしWiki〈曹洞宗関連用語集〉
禅 ZEN - 道元を主人公にした映画公式サイト(2009年1月10日公開)