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前漢末から災異思想などによって

前漢末から災異思想などによって、神秘主義的に経書を解釈した緯書が現れた(「経」には機織りの「たていと」、「緯」は「よこいと」の意味がある)。 緯書は六経に孝経を足した七経に対して七緯が整理され、予言書である讖書や図讖(としん)と合わせて讖緯といい、前漢末から後漢にかけて流行した。新の王莽も後漢の光武帝も盛んに讖緯を利用している。

一方で桓譚や王充といった思想家は無神論を唱え、その合理主義的な立場から讖緯を非難している。

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さて、前漢から五経博士たちが使っていた五経の写本は、漢代通行の隷書体に書き写されていて今文経といわれる。これに対して、古文経と呼ばれる孔子旧宅の壁中や民間から秦以前のテキストが、発見されていた。前漢末、劉歆が古文経を学官に立てようとして、今文経学との学派争いを引き起こしている。平帝の時には『春秋左氏伝』『逸礼』『毛詩』『古文尚書』が、新朝では『周官』が学官に立てられた。後漢になると、古文経が学官に立てられることはなかったものの、民間において経伝の訓詁解釈学を発展させて力をつけていった。章帝の時に今文経の写本の異同を論じる白虎観会議が開かれたが、この中で古文学は攻撃に晒されながらも、その解釈がいくらか採用されている。この会議の記録は班固によって『白虎通義』にまとめられた。

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2009年09月27日 02:28に投稿されたエントリーのページです。

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