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明治政府は

明治政府は、近代国家の形を次第に整えてゆく中で、1877年に東京大学を創立し、1886年にはそれを西欧科学導入の先兵とし、ドイツ近代大学をモデルとして「帝国大学」の名で再編した。当時、世界の科学研究をリードしていたのはドイツだったからである(19世紀後半は、第一線の研究といえばドイツのものと相場が決まっていた(伊藤博文が、ドイツ、中でもプロイセンをモデル国家にしようとする中で、英国とフランスをモデル国家にしようとしていた自由主義派を追い落としを実行し、それによって政治的な大枠が確定した後、そのヴィジョンの一環として、帝国大学が成立したともされる。)。つまり、近代日本が採用したのは、西欧で(特にドイツで)すでに制度化され、専門分化した「科学」、すなわち「分科の学」であった。イギリスでは別の学問モデル(個別学問分野での専門的研究を中心とするのではなく、全人教育)を採用していたのに対して、ドイツ学者は自分が従事する学問の意味を深く問うこともなく、特定分野で業績をあげることばかりを追求し、他の学問分野については驚くべき無知さをあらわにしつつあった(と当時のイギリス人が観察していた)。

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すなわち、ヨーロッパでは、文化・学問はしっかり根があり、上の幹や枝が分かれた状態で「ササラ型」で成立しているのに対して、日本へは、共通の根を切り捨ててササラの末端がバラバラになった状態で移入されたともされ、日本の科学がタコツボ型になっている歴史的事情を物語っている、ともされる。

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2009年10月04日 23:26に投稿されたエントリーのページです。

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